●同じ「捨てる」でも内容は異なる断舎離と整理私も昨今のブームに乗り(笑)「断舎離」を実践してはや3年になります。
年中汚かった部屋の中の物を少しづつ捨てていって、今では結構なミニマリストになりました。
捨てる生活を実践して思ったことですが、どうも世の中でいう「断舎離」の意味が異なっているように思えるのです。
なんでもかんでも捨てていればさえ「断舎離」か?
というとどうも違うような気がしてなりません。
ただ捨てるという作業は「整理」だと思うのです。
その違いについて考えて見ましょう。
●思い入れのない物を捨てるのは「整理」
賞味期限の切れそうな冷蔵庫の中の物
いつか使うかもしれない貰い物
数年前の書類
読み終わった雑誌・・・・etc
こういったものは、例えば、一年触らなかったら捨てる、とかルールを決めて捨てることができると思います。
これは私流に解釈すれば「整理」ですね。
機械的に処理できる類のものです。
ビジネスなどで仕事の効率を上げるためにも、この「整理」は必ずやらなければならないものであり、これができないのは、ただ怠慢なだけだと思います。
仕事とかにも影響しますから、整理術のスキルは身に着けておきたいですね。
●想いのある物、事、習慣をすてるのが「断舎離」
所謂、想い出の品とか止められない習慣に使う物とかを捨てるのが「断舎離」だと私は考えます。
お気に入りだけど、少し古くなって生地が薄くなった服とか、昔は好きで良くやっていたけど今はさっぱりやらなくなったスポーツの道具とか。もう奏でなくなった楽器とか。
ちなみに下記ブログに楽器買取に関する記事が載ってます。
なにかしら想いが入っているものを捨てるのが「断舎離」だと思うのです。
これはまさに自分との対峙ですから、気持ちが強くなければできません。
こうやって捨てることにより気持ちを強くしていく事が「断舎離」の本当の意味だと思っています。
●テレビを捨てたときのこと
だいぶ前に私は、テレビを捨てました。
毎日家に帰ってテレビの前でごろごろしながらだらだらと時間を消費してばかりいる自分が嫌になったのです。
楽でしたが・・・・。
テレビの無い生活の不便さが心配でしたが、そんなだらけた自分を断ち切ろうと思い切ってテレビを捨てたのでした。
この時に私はテレビの他に「だらけた自分」と「当たり前になっているテレビをみるという習慣」を捨てたのだ、と思っています。
なんとなく、こういうのを断舎離っていうんじゃないかな?
と思うのですがね。
なので、よくSNSなんかに「今日はボールペンを断舎離しました!」とかのっける人がいますが、なんか私は、軽い違和感を覚えるのですが、いかがなものでしょうかね?